レベル5: 継続して実践している
レベル4: 実践したことがある
レベル3: 知識はある(説明できる)
レベル2: 聞いたことはある(説明はできない)
レベル1: 聞いたことがない(全く知らない)
2019年5月14日火曜日
「実践度」の5段階
2019年3月31日日曜日
ThinkPad E450のバッテリーを交換
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| ThinkPad E450から取り外したバッテリー |
2012年9月14日金曜日
不可能を可能にしたアポロ13号に学ぶ
何か問題が起きたとき、競うように推測が飛び交い、混乱に拍車がかかることがある。大切なのは「事実」であって「推測」ではない。
教訓:組織文化がフラットになっているだろうか。フラットな組織をつくろうとして、組織図だけフラットにしていないか。
「あきらめない」という価値観と同様である。
教訓:任せたと言いながら、あれこれ細かい指示を出していないだろうか。任せられる若手を、日頃から育てているか。
上記エピソードは、アポロ計画という特別なプロジェクトでの話であるが、自らの働き方や組織に置き換えても、決して大げさすぎるという話ではないと感じる。
2012年2月12日日曜日
大正昭和初期の考現学(モデルノロギオ)にエスノグラフィーの本質を見た
大正から昭和にかけて活躍された、今 和次郎(こん わじろう)氏の「採集講義展」に行ってきた。これが素晴らしく面白かった。
今氏は、建築家でもあり服飾デザイナーでもあるが、そのアイデアの根源は、エスノグラファーとしての活動からもたらされている。日本全国を歩き、民家の様子をスケッチした調査は圧巻である。
一方で、銀座の町を歩く人々を観察し、服装の分布、ひげの形やタバコの消し方、また「モダンガールの散歩コース」の観察、「2時間歩いて出会った犬の数と種類」など、目の付けどころがユニークであり、微笑ましくもある。
それらの観察結果を、手書きで表やグラフにまとめているのだが、その表現方法がすばらしくわかりやすい。しかもデータの集計なのに、イラストや手書きの文字に、暖かみさえ感じる。思わず、そのデータを詳細に読みたくなってしまうのだ。
いったいこれはどうしたことだろう。
デジカメも、ICレコーダーも、エクセルも、パワーポイントもない時代の調査結果が活き活きと表現され、見るものに深い関心を持たせることに成功している。
ペンとノートと「観察眼」さえあれば、エスノグラフィーは可能であり、ITツールは「あれば便利な補助ツール」でしかない、という事実を改めて認識させられる。
よい観察ができないとしたら、それはデジカメの画素数が足りないからではない。録音した音声が聞き取れないからではない。エクセルがよく落ちるからではない。
「観察眼」が足りないのだ。
テクノロジーの進歩で、昔はできなかったことができるようになってきたことは事実だと思う。一方で、昔はできていたことを、「テクノロジーが代行してくれる」という錯覚のもとにやらなくなってしまい、次第にできなくなってしまったのではないだろうか。
身体性をともなう行為、すなわち、自分の五感を駆使して得た生情報を大切にしたい。手当り次第に写真を撮ったり、全てを録音したりすることに気を取られて、自分自身が「その場で感じる」という行為をおろそかにしてしまうと、本質が見えなくなってしまうだろう。
参考文献:今和次郎 採集講義
参考文献:今和次郎 考現学入門
2010年10月19日火曜日
自分の想像力の範囲を超える方法
どのようなプロセスでデザインしていくだろうか?
以下のような感じで考えることが多いかもしれない。
Step 1. 対象となる子供の年齢の範囲を設定し、その子供たちの手の大きさの平均値を調べる
Step 2. 大人の手の大きさの平均値を調べる
Step 3. 大人用の歯ブラシを、子供用の大きさに合わせて縮小する
このようなやり方は、論理的には正しく見える。
ここで、実際に子供が歯磨きをしているところを観察してみるとどうなるだろう。
観察してみると、子供は大人ほど手先が器用でなく、
歯ブラシをわしづかみにして磨いている様子を発見できるかもしれない。
そのとき、
「子供サイズの歯ブラシは、わしづかみするには細すぎる」
ということに気づけるだろう。
そして、「子供が握りやすい歯ブラシのグリップ」というテーマが見つかり、
「大人用より太いほうがいいんじゃないか?」というアイデアにつながっていく。
先ほどの、論理的に正しいはずのやり方と、逆の結論が得られるのだ。
自分の想像力の範囲では、
「子供用は小さくする」というあたりまえの発想から抜け出すことは難しいが、
観察によって現実を知ることで、
自己の想像力の範囲を簡単に超えられることがある。
IDEOなどのデザインファームが、観察の大切さを主張するのは、
こんなところに理由があるのだと思う。
参考: 発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法
2010年10月14日木曜日
内面の美しさが外観に現れる
美しいと感じるものは、
その内面の美しさが滲みだしてきたのだ、
と思うことがある。
「外観は、内面の表れである」という考え方は、
多くの場合に当てはまる、という印象。
本当の美しさは、中身がないと表現できないのではないだろうか。
「機能美」という言葉がある。
目的を達成するための機能が実現されたとき、
そこに美しさが宿る。
ある目的のための機能を実現する手段は、おそらくたくさんある。
その手段のうち、余計な飾りが取り除かれ、本質がデザインされたとき、
美しいと感じるのだろう。
ゴルフクラブは、その設計思想が、美しさに現れやすい工業製品の一つであろう。構えたときに、「これならうまく打てる」という感覚を与えてくれるクラブは、そのスペックだけでは語れない美しさを持っている。
2010年10月13日水曜日
その行為はデザインだろうか?装飾だろうか?
一つの考え方として、「装飾は、加えること」、「デザインは、余計なものを引いていくこと」、といえるかもしれない。
素材に対して、飾りを加えていくことで、楽しさ、美しさを演出することが、装飾ということだとしたら、デザインというのは、混沌とした現実から本質を見つけ出し、不要なものをそぎ落としていくという行為、と捉えてみたくなる。
なにかを加えたくなったとき、ほんとうにそれは必要なのかどうかを考えることが、デザインという行為の大切なステップなのではないかと思う。そしてその結果、加える代わりに、そぎ落とした方が魅力的になる、ということにたどり着くことがあるかもしれない。
2010年1月18日月曜日
アイデアの歩留まり
生産現場などでよく使われる言葉だと思います。
辞書をひいてみると、
「加工に際し、使用原料に対する製品の出来高の割合(大辞林)」
とあります。
不良品を少なくすることを、「歩留まりを上げる」と
言うことも、よくありますよね。
ところで、
製造業の品質の高さが、これまで日本の強みの一つであったのだと思いますが、
これは、「歩留まりを極限まで上げて行こう」というアプローチが、
功を奏してきたのだと思います。
「歩留まりを上げよう、品質を上げよう」というメッセージは、
疑いの余地のない、否定できない考え方のように思えます。
この考え方を、愚直に実行してきたからこそ、
工業立国としての日本が、今まで成り立ってきたのかもしれません。
しかし、企業の中の仕事を見渡してみたときに、
今、多くの企業が、
「新しい価値作り」がなかなかできない、
という課題に直面しているのではないでしょうか。
この、新しい価値作りというフェーズで、
もし、「歩留まり第一、品質第一」という価値観が、
組織を支配してしまったとしたら、
はたして、新しい価値が生み出せるかどうか。
光るアイデアを出せる人・組織は、
その何倍・何十倍もの、
光らなかったアイデアを出しているものです。
価値のモトとなる「新しいアイデアの歩留まり」という表現があるとすれば、
その歩留まりは、とても低い、という認識が、
まずは必要かもしれません。
低い歩留まりに対抗するには、
「数多くのアイデアを出す」こと、
それらのアイデアをバカにしないこと、
足りない部分を、補い合うこと、
そして、
つねにポジティブに向き合うことが、
大切なのではないか、とおもう今日この頃です。
2009年7月4日土曜日
「期待」をデザインする
もう一つインスピレーションを得たこと、
それが、
「期待」をデザインする
ということでした。
広告や宣伝などのプロモーション手段は、
ある意味、期待をデザインしているのだと思います。
その上で考えるべきことは、
どんな期待を、どんなレベルでデザインするか、
ということかもしれません。
期待を高めすぎると、
後でがっかりさせてしまうかもしれません。
しかし、期待をさせなければ、
そもそも振り向いてもらえない。
このジレンマを解消することが、
期待をデザインすることの、本質かな、
と思います。
マーケティング論の、AIDMA理論や、
マズローの、欲求5段階説も、
からんできそうです。
そして、この「期待のデザイン」は、
「経験デザイン」の中の、
重要な要素になる、と思います。
なかなかチャレンジングで、
面白そうなテーマです。
2009年4月20日月曜日
都市での生活に必要な移動手段
学生時代からそれまで20年近く乗り継いできた車を、
その時に手放しました。
私自身は、子どもの頃から車が好きで、
スーパーカーブーム('70年代後半)の頃は、
イタリアやドイツの車の名前を、
せっせと覚えたものです。
郊外や、地方の場合は、
車が必需品の所も多いと思いますが、
都心に住んでみると、
自らの移動は公共交通機関で、
大きな荷物は、宅配で事足りることがわかりました。
また、都心では駐車場代が非常に高く、
「ドライビングを楽しむため」というだけでは、
維持費を負担する口実としては、
いささか不足しそうです。
欧州では、LRT(Light Rail Transit)と呼ばれる
路面電車を都市中心部に復活させ、
逆に、中心部への車の乗り入れを規制する施策が
とられている都市が、増えてきているようです。
郊外に車を止め、LRTで中心部に移動し、
車が走っていない街を、歩行者が闊歩する、
そんな都市が、欧州に広がりつつあるようです。
高度経済成長の時代は、多くの人が車を持つことを
夢見て、そして手に入れてきたのだと思います。
そして、経済が成熟した社会では、
車と、車以外の移動手段を公平に検討し、
住みやすい街をデザインしていく時期に
差し掛かっているのかもしれません。
私自身は、休暇をとったときは、
必ず車をレンタルして、
何百kmも走ることにしています。
移動のためというよりも、
運転する喜びを感じたい、と思うからです。
このあたりの欲求は、
合理性だけでは説明ができない領域ですね(^_^)
2009年4月8日水曜日
反省が学びにつながる
茂木健一郎さんが、
「反省することが、学びにつながる、ということが、
脳科学的にわかってきた」
とおっしゃっていて、ほほーと思いました。
「ポジティブ思考」が流行っている現代社会で、
「反省とはネガティブ思考だからおやめなさい」
という論調を見かけますが、
この、「反省しなくていい」と聞こえる主張に、
私自身は疑問を感じていました。
反省するということは、
実際に起きた残念な結果と、
想定していたよい結果を比較することなので、
「今回のやり方ではうまくいかなかったから、
次回はちがうやり方でやってみよう」
という考え方になれば、それは学びと言えるのだと
思います。
反省しないという、表層的なポジティブ思考になってしまうと、
失敗した理由を深く自覚しないまま、
次々と新しいことにチャレンジすることになり、
時にはうまくいくこともあるでしょうが、
同じ失敗を繰り返すことになり、
本質的には成長していない、ということにも
なりかねない気がします。
一方で、
反省だけに終わって、次のアクションにつながらない
ということも、結構あるのではないかと思います。
強烈な失敗を経験すると、チャレンジそのものを
やりたくなくなるものです。
「反省しないでチャレンジを繰り返す」
「反省だけで次への行動がない」
この、両極端な態度は、結構身近にもあったりしますよね。
反省という行為を、高質な内省ととらえて、
それを自己の成長・学びとして、つぎへのチャレンジに活かす、
そんなサイクルを回せたらいいのかな、と思いました。
追記:
「反省」でなく「後悔」が、放送で言っていたことでした。
若干意味が違ってきますね。
「自分の選択に反映される価値観や世界観を反省し、
考え方を変えるきっかけにもなるわけです。」
とも茂木さんがおっしゃっているので、
お許しください(^^;)
2009年4月7日火曜日
「お客さまのため」とはどういうことなのか
日々、企業努力は続けられています。
「かけ声だけで、実際のところは...」という悩みがあることも、
また事実だと思います。
なにか、お客さまにとって価値のあるモノを作ろうとしたときに、
"User-Centered"や"Human-Centered"という考え方を取り入れて、
「お客さまのためになるモノ」を考えたりします。
そのとき、「お客さまのためになるって、どういうことだろう」
と思うことがあります。
「お客さまの要望に応える」ということは、
広い意味ではその通りなのだと思いますが、
要望に直接応えることが、長期的に見ると、
かえってお客さまの利益を損なうことになる、
ということもあるのではないでしょうか。
例えば、「楽に移動したい」という要望に対して、
「おまかせください。このボタンを押すだけで、
目的地まで、なにもしなくて結構です」
という解決策が、お客様のためになっているのかどうか。
確かに、楽に移動できて、要望を満たしていますが、
体を動かさなくても移動できるという機能が、
長期的に見ると、体の機能・能力を退化させるという
結果を生み出すかもしれません。
「身体的に楽をする機能」を日常的に享受しながら、
ダイエットのために、お金を払って体を動かしに行く、
ということが、現代社会ではすでに起こっていますよね。
「お客さまのため」とはどういうことなのか、
考え続けていく必要がありそうです。
2009年3月24日火曜日
思考習慣を意識してみる
という実感があります。
「継続は力なり」というやつですね。
継続しようと思い立っても、三日坊主で終わってしまうことも
よくありますね。
一方で、特に意識はしていないのに、
知らず知らずのうちに継続していることに、
気がつきます。
何を食べるかという食習慣もそうですし、
どんな服を着るか、買うか、というのもそうかもしれません。
さらに、「どのように考えるか」という、
思考習慣とでもいうべきものも、
あるのではないでしょうか。
なにかが起こった時に、
それをどうとらえ、どう思うか、ということが、
いつも同じパターンであることが多いのではないでしょうか。
このような思考習慣は、日々繰り返されることで、
強固に身についている、といえると思います。
いつも後ろ向きにとらえてしまう習慣があると、
発言も後ろ向きとなり、
「ネガティブな思考回路」を強化していくことに
なるのではないでしょうか。
前向きなとらえ方をする人は、
「ポジティブな思考回路」を、日々強化しているのだと思います。
どんな思考習慣をもっているかは、
発言や、記述する文章に現れるものです。
ノー天気にならない程度に、
ポジティブな思考習慣を身につけたいと思う、
今日この頃です。
p.s.
ネガティブにならないコツを、ある人に教わりました。
それは、
「自分がコントロールできない事に、いちいちとらわれないこと」
だそうです。
2009年3月23日月曜日
できない理由を並べてみると、やるための条件が見えてくる
つい、いろいろなことを想定して、「むずかしそうだな...」と、
ネガティブな気持ちになることがあると思います。
そんなとき、
「できない理由を並べてないで、とっととやりなさい!」
という上司からの叱咤激励は、
時には効き目があるかもしれません。
一方で、そんな上司が成功体験を得た時代と今では、
世の中の複雑さの度合いが、ずいぶん異なってきていることも、
また事実だったりします。
「尻込みせずに、やればいいだけ」では済まないこともあるでしょう。
そんなときは、
「ここはひとつ、まず、できない理由を並べてみようか(^^;)」
とやってみると、面白いかもしれません。
出来ない理由を挙げることは、結構簡単にできるはずです。
出来ない理由を挙げていくと、
不思議なもので、情けない気持ちになってきたりして、
「なんでできないだっけ、この程度のことを」と、
自問自答したくなったりします。
また、現状ではできないが、この条件があればできるはず、
というところに、気づきやすくなるかもしれません。
「やれ!」と言われると、
「そんな簡単じゃないよ」と
反発したくなります。
「できないよね?」と言われると、
「いや、こうやるとできるんじゃないですか」と、
思わず言ってみたくなります。
ある意味単純ですが、
人間の感情って、
そういうことなんじゃないかな、と
思ったりします。
自分の内面にある、「あまのじゃく」を、
うまく利用してみるということでしょうか。



