先日、大手総合電機メーカーのデザイン部門に招かれ、「イノベーティブワークウェイの実現に向けて」と題して、講演させていただきました。30名ほどのデザイナーのみなさんや、デザイン部門の部門長さまにもご参加いただき、2時間ちょうどの予定が、30分オーバーするほど、質疑応答がもりあがりました。
講演の内容は、昨年コラボレーションしたIDEO社の事例として、イノベーティブなワークスペースのあり方と、イノベーションプロセスの実践論をお話し、その後、デザイナーがHUBとなるイノベーションプロセスの実践と、その組織展開について、お話とディスカッションを行いました。
講演の中で、「イノベーション」という言葉を、どう捉えるかという問題提起をし、「イノベーションとは、技術を生み出すことではなく、生み出された技術を顧客価値につなげることではないか」という考え方を述べました。講演後に部門長さまと会食した際に、「そのイノベーションの定義は、まさにそうだと思う」と共感していただくことができました。
さて、技術を顧客価値につなげるには、どうしたらいいのでしょうか。イノベーションを起そうとするときに、常に問われる課題だと思います。それを解く一つのカギは、技術を知っている人と、顧客・市場を知っている人の存在と、その両者をつなぐ人、この3者の存在が、少なくとも必要なのではないか、と考えています。技術を知っている人は、研究所や開発部門にいるはずです。顧客・市場を知っている人は、マーケティング部門や営業部門にいるでしょう。その両者のつなぐ人は、どこにいるのでしょうか?
その役目として適任なのが、デザイン思考ができる人なのではないか、と考えています。デザイン思考ができる人とは、ユーザ基点での価値創造を行うプロセスを実践している人、と言うことができるかもしれません。
マーケティングの専門家とのコラボレーションで、ユーザのニーズを捉え、技術の専門家と一緒に、ニーズを満たす(あるいは超える)形にしていく。イノベーションを起すために、そのような役割が、ますます重要になってくるのではないか、と考えています。
2007年3月16日金曜日
2007年3月6日火曜日
余白をデザインする
「余白」という言葉に、みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか。
「余分な空白」とか、「余白を埋めよ」という試験問題文を
思い浮かべたりするかもしれませんね。
「余白」という言葉は、辞書によると、
「文字などを書いてある紙面で、何も記されないで白いままで残っている部分。空白。」
という意味のようです。
特に難しい意味はないようですが、「余白」に対する認識は、
人それぞれかもしれません。
余白を、「埋めるもの、残したくないもの」と捉えるか、
「そこに必要な余白について考える」かで、
デザインのアプローチが大きく変わってくると思います。
余白について考えるとき、わかりやすい例として、
古い広告をご紹介したいと思います。
60年代のフォルクスワーゲン・ビートルの新聞広告です。
巨大なクルマが当たり前だったアメリカで、
"Think small"というメッセージを投げかけています。
ビートルの小ささが、余白の大きさとの対比で、強力に表現されている広告です。
必要な余白を認識し、それを残すセンスを持ちたいと思っています。
「余分な空白」とか、「余白を埋めよ」という試験問題文を
思い浮かべたりするかもしれませんね。
「余白」という言葉は、辞書によると、
「文字などを書いてある紙面で、何も記されないで白いままで残っている部分。空白。」
という意味のようです。
特に難しい意味はないようですが、「余白」に対する認識は、
人それぞれかもしれません。
余白を、「埋めるもの、残したくないもの」と捉えるか、
「そこに必要な余白について考える」かで、
デザインのアプローチが大きく変わってくると思います。
余白について考えるとき、わかりやすい例として、
古い広告をご紹介したいと思います。
60年代のフォルクスワーゲン・ビートルの新聞広告です。
巨大なクルマが当たり前だったアメリカで、
"Think small"というメッセージを投げかけています。
ビートルの小ささが、余白の大きさとの対比で、強力に表現されている広告です。
必要な余白を認識し、それを残すセンスを持ちたいと思っています。
詰め込むことによって、逆に失われてしまうものがあること、
余分でない余白、意味をもつ余白を意識していたいと思います。
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