2009年4月27日月曜日

ストレートで飲むウィスキー

ウィスキー、とりわけスコッチは、
昔から好きで、よく自宅で飲むのですが、
飲み方としては、
氷を入れて、いわゆるオンザロックで飲んでいました。

以前は、それが普通においしかったのですが、
昔はおいしいと感じていた銘柄のものが、
最近、ちょっと物足りないという印象になっていました。

そこで、ストレートで飲んでみたところ、
これがおいしい!

以前は、強すぎて飲みにくいと感じていたのですが、
歳のせいか(?)、おいしく感じるようになっていました。

小さいグラスに、少し注ぎ、
それをチビチビやるのも、いいものです。

2009年4月20日月曜日

都市での生活に必要な移動手段

私は、3年ほど前に都心に引っ越してきたのですが、
学生時代からそれまで20年近く乗り継いできた車を、
その時に手放しました。

私自身は、子どもの頃から車が好きで、
スーパーカーブーム('70年代後半)の頃は、
イタリアやドイツの車の名前を、
せっせと覚えたものです。

郊外や、地方の場合は、
車が必需品の所も多いと思いますが、
都心に住んでみると、
自らの移動は公共交通機関で、
大きな荷物は、宅配で事足りることがわかりました。

また、都心では駐車場代が非常に高く、
「ドライビングを楽しむため」というだけでは、
維持費を負担する口実としては、
いささか不足しそうです。

欧州では、LRT(Light Rail Transit)と呼ばれる
路面電車を都市中心部に復活させ、
逆に、中心部への車の乗り入れを規制する施策が
とられている都市が、増えてきているようです。

郊外に車を止め、LRTで中心部に移動し、
車が走っていない街を、歩行者が闊歩する、
そんな都市が、欧州に広がりつつあるようです。

高度経済成長の時代は、多くの人が車を持つことを
夢見て、そして手に入れてきたのだと思います。

そして、経済が成熟した社会では、
車と、車以外の移動手段を公平に検討し、
住みやすい街をデザインしていく時期に
差し掛かっているのかもしれません。

私自身は、休暇をとったときは、
必ず車をレンタルして、
何百kmも走ることにしています。
移動のためというよりも、
運転する喜びを感じたい、と思うからです。

このあたりの欲求は、
合理性だけでは説明ができない領域ですね(^_^)

2009年4月12日日曜日

惹かれ合う感性

先日、NHKのBS放送で、
ニューヨークにあるチェルシーホテル(Hotel Chelsea)の紹介をしていました。

このホテルは、通常の短期滞在もできますが、
支配人に気に入られたアーティストなら、
長期滞在が可能で、中には10年20年も住んでいる人もいる
ということでした。

以前は、マーク・トウェイン、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリクスなどの
著名人が住んでいたそうです。

長期滞在しているアーティストの部屋の中は、
まるで自宅のように、自由に飾り付けられており、
ペンキで壁を塗り替えてしまったりしてもOKなのだそうです。

住人の一人のインタビューで、
「ここでは、多少エキセントリックでも、誰も気にしない。」
というコメントがありました。

通常の社会の中では、異端視されてしまうアーティストにとって、
このホテルは、受け入れてくれる居場所として
心地よいのかもしれません。

感性豊かな人々は、
通常の社会の中での居心地の悪さを感じ、
一つの場所に、惹かれ合うように集まってくるのでしょうか。

「創造的な人は、たいていエキセントリックだ」
「トラブルが起きたとき、それを処理するのも
ホテルの業務のうちさ」
と、ホテルの支配人は語っています。

創造性を発揮させる環境には、
このような、どっしりかまえた親分が
必要なのかもしれませんね。

http://www.hotelchelsea.com/

2009年4月8日水曜日

反省が学びにつながる

先日のNHKの番組「プロフェッショナル」で、
茂木健一郎さんが、
「反省することが、学びにつながる、ということが、
脳科学的にわかってきた」
とおっしゃっていて、ほほーと思いました。

「ポジティブ思考」が流行っている現代社会で、
「反省とはネガティブ思考だからおやめなさい」
という論調を見かけますが、
この、「反省しなくていい」と聞こえる主張に、
私自身は疑問を感じていました。

反省するということは、
実際に起きた残念な結果と、
想定していたよい結果を比較することなので、
「今回のやり方ではうまくいかなかったから、
次回はちがうやり方でやってみよう」
という考え方になれば、それは学びと言えるのだと
思います。

反省しないという、表層的なポジティブ思考になってしまうと、
失敗した理由を深く自覚しないまま、
次々と新しいことにチャレンジすることになり、
時にはうまくいくこともあるでしょうが、
同じ失敗を繰り返すことになり、
本質的には成長していない、ということにも
なりかねない気がします。

一方で、

反省だけに終わって、次のアクションにつながらない
ということも、結構あるのではないかと思います。

強烈な失敗を経験すると、チャレンジそのものを
やりたくなくなるものです。

「反省しないでチャレンジを繰り返す」
「反省だけで次への行動がない」

この、両極端な態度は、結構身近にもあったりしますよね。

反省という行為を、高質な内省ととらえて、
それを自己の成長・学びとして、つぎへのチャレンジに活かす、
そんなサイクルを回せたらいいのかな、と思いました。

追記:
「反省」でなく「後悔」が、放送で言っていたことでした。
若干意味が違ってきますね。
「自分の選択に反映される価値観や世界観を反省し、
考え方を変えるきっかけにもなるわけです。」
とも茂木さんがおっしゃっているので、
お許しください(^^;)

2009年4月7日火曜日

「お客さまのため」とはどういうことなのか

「ユーザーのために」、「お客さまのために」という目標を掲げて、
日々、企業努力は続けられています。

「かけ声だけで、実際のところは...」という悩みがあることも、
また事実だと思います。

なにか、お客さまにとって価値のあるモノを作ろうとしたときに、
"User-Centered"や"Human-Centered"という考え方を取り入れて、
「お客さまのためになるモノ」を考えたりします。

そのとき、「お客さまのためになるって、どういうことだろう」
と思うことがあります。

「お客さまの要望に応える」ということは、
広い意味ではその通りなのだと思いますが、
要望に直接応えることが、長期的に見ると、
かえってお客さまの利益を損なうことになる、
ということもあるのではないでしょうか。

例えば、「楽に移動したい」という要望に対して、
「おまかせください。このボタンを押すだけで、
目的地まで、なにもしなくて結構です」
という解決策が、お客様のためになっているのかどうか。

確かに、楽に移動できて、要望を満たしていますが、
体を動かさなくても移動できるという機能が、
長期的に見ると、体の機能・能力を退化させるという
結果を生み出すかもしれません。

「身体的に楽をする機能」を日常的に享受しながら、
ダイエットのために、お金を払って体を動かしに行く、
ということが、現代社会ではすでに起こっていますよね。

「お客さまのため」とはどういうことなのか、
考え続けていく必要がありそうです。